杞憂

路頭に迷うでも命を失うでもないようなことでいちいち心配するなんて、なんて無駄なんだろうと思う。けど、知っていてもそうなってしまうのが心配性の厄介なところ。

死にゃしないよ、大丈夫。もっと大らかに気を持とう。

全ては僕の捉え方しだいだ

親元を離れて暮らして数年、思うことがある。親なんて生きてても死んでても一緒だと。
親だけじゃない。兄弟も祖父母も、親戚も友人も全てそう。
日常的に接していない人は、基本的にはいないのと同じなんだ。

でも、もし死んでしまっていたら、途方もなく寂しくなるに違いない。
一体どういうわけなんだろう…

ふと、ある曲の歌詞を思い出した。

ここにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて
ここにあなたがいないと思うことが寂しい

大事MANブラザーズバンド「それが大事」の一節。
そう、いないことじゃなくて、いないと認識する事が寂しい。
もう会えないと思ってしまう事が寂しい。

裏を返せば、捉え方次第だということ。

この世にいなくなったとしても、
遠く離れて暮らしているだけなのだと思えばいい。
それはつまり、事実と関係なく心の中では生きている。

もし僕がこの世から巣立っていっても
君の中で僕は生き続けるだろう

Mr.Children 「いつでも微笑みを」

永遠のさよならをしても
あなたの呼吸が私には聞こえてる

Mr.Children 「花の匂い」

そう思えばなんとかやっていけそうだよ。

もう会えないかもしれないよ
もうやれないかもしれないよ

B’z 「Long time no see」

孝行したい時に親はなしとは言ったもので、
やりたい事があるならやれるうちにやっておかなきゃね。
次がある保証なんてどこにもない、今を生きよう。

レールを外れたなら、いっそ天下を。

運や努力、すべてひっくるめて、子供の頃から何かを積み上げてきた人がレールの上を走っている。それを取りこぼしてしまって、今さら後戻りも出来ない、後悔しても仕方ない。レールには電車がひしめき、電車の上にも窓にも人がしがみついてる。その足にしがみついて何になるんだ。

いっそ、天下を獲りに行く方が現実的なのかもしれない。一度きりの人生、背水の陣、後悔なく。

怒り新党のドッジボールで思い出した体育嫌いだった頃

怒り新党で「ドッジボールが嫌い」という意見を見て、ふと中学生頃の体育嫌いを思い出した。別にドッジボールを悪魔のスポーツなんてこた思いません。

怒り新党 2014 9月3日放送(2)~ドッジボールは悪魔のスポーツ? : Halohalo online

勉強は出来る方だったから苦にした事はないけれど(といっても理系の話で、社会や国語は好きじゃないから成績は良くなかった)、そのぶん運動は苦手で、とくに集団スポーツは嫌だった・・・

私自身の経験|体育が嫌いなあなたへ

何が嫌かって、上のリンク先記事と同じように、「チームに入れたくない」要因だったりとか「入ることになった時にガッカリされる」とか、「ミスした時に嫌な顔をされたり、人によっては露骨に何か言ってきたりする」こと。好きで同じチームになったわけでもないのに、なんで悪口言われなきゃなんないんだろうって。授業だから仕方ないけど、苦痛だったなぁ。特に苦手だったサッカーの時は、ディフェンスのポジションについた上で「ボールくるなボールくるな」って必死で願ってました。ボールクリアすらミスったりするからね!

なぜ中学生の頃かっていうと、その頃が一番「何か言ってくる人」がいたからだと思う。あくまでごく一部なんだけど、そういう人がほとんどいなかった小学生や高校生の時はそれほど嫌じゃなかった。そう思うと、別にスポーツ自体が嫌いなわけじゃなかったし、ひょっとすると好きだった可能性すらあるかもしれない。高校では好きにチーム組んでバレーとかしてて、決して上手くはないけど楽しんでやれてた記憶もあるし。もっとスポーツを好きになれてた可能性を考えると、ちょっとだけ惜しさもある。

これって勉強も同じかもしれない。みんな同じように進むから、理解が遅い人は宿題も、当てられても苦労ばっかりして、どんどん嫌いになっていくのかも。解ける楽しみとか、知る喜びを感じられるような流れなら、それほど嫌々じゃなく授業を受けられそう。大学を卒業した後で読書や歴史が好きになった自分としては、そんなことを思う。

古参ファンと新規ファン

ももクロ春の一大事@西武ドーム楽しかった!あんなに歌って踊って、4時間オーバーのライブを2日間もやるんだから凄いもんです。んもう絶対日産も行く。

感想を読んだり、詳しく調べていくと「古参ファン」と「新規ファン」の話題をよく目にします。これはももクロに限ったことじゃなく、何年か活動していて、人気があるグループならジャンルを問わず話題にのぼる事なんでしょう。

たまたま見つけたももクロファン最古参(メンバーから顔を覚えてもらっているレベル)の方のブログを読んでいたら、「古参」なんて自分で口にできるのはこのレベルだよなって思いました。このレベルの人になると、かえって古参ぶらない事が多いんですけどね。どんなファンでも、古参ぶる人のほとんどはメディアでそれなりに取り上げられるようになってからでしょう。最古参の人がそれを見たら、腹立たしいのか微笑ましいのか…自分には分かりませんが、どんぐりの背比べに見えるに違いない。

ミスチルは95年来のファンだから、もうかれこれ18年。ミスチル現象よりも後からのファンだから絶対に古参ではないけれど、期間だけで見たらそれなりに古参でもあったりして。ミスチル現象の後もSignやしるし、HANABIなどで着実に新規ファンを獲得しているから、自分や友人が当たり前のように過ごしてきた経験をしてない人もたくさんいる印象です。そんな人が的を射ない講釈をたれていたりすると「それは違うだろ…」なんて思うことも多々あるけど、よく考えてみたら真実がどっちにせよ迷惑な古参ファン以外の何者でもないですね。気をつけなくては。

新規だと、何か意見を言うのもはばかられるような気がしていたけど、自分が思ったことは素直にそのまま出していこうと思いました。ちょっと経験積んで古参ぶるのは恥ずかしいけど、新規だからって別に卑屈になることもない。同じものを好きっていう共通点があるんだから仲良くすればいいよね。

ただ、売れてない頃から応援してきた人に対する敬意は忘れないつもりです。その人達がいなければ、もう消えちゃってる可能性が高いんですから。