全ては僕の捉え方しだいだ

親元を離れて暮らして数年、思うことがある。親なんて生きてても死んでても一緒だと。
親だけじゃない。兄弟も祖父母も、親戚も友人も全てそう。
日常的に接していない人は、基本的にはいないのと同じなんだ。

でも、もし死んでしまっていたら、途方もなく寂しくなるに違いない。
一体どういうわけなんだろう…

ふと、ある曲の歌詞を思い出した。

ここにあなたがいないのが寂しいのじゃなくて
ここにあなたがいないと思うことが寂しい

大事MANブラザーズバンド「それが大事」の一節。
そう、いないことじゃなくて、いないと認識する事が寂しい。
もう会えないと思ってしまう事が寂しい。

裏を返せば、捉え方次第だということ。

この世にいなくなったとしても、
遠く離れて暮らしているだけなのだと思えばいい。
それはつまり、事実と関係なく心の中では生きている。

もし僕がこの世から巣立っていっても
君の中で僕は生き続けるだろう

Mr.Children 「いつでも微笑みを」

永遠のさよならをしても
あなたの呼吸が私には聞こえてる

Mr.Children 「花の匂い」

そう思えばなんとかやっていけそうだよ。

もう会えないかもしれないよ
もうやれないかもしれないよ

B’z 「Long time no see」

孝行したい時に親はなしとは言ったもので、
やりたい事があるならやれるうちにやっておかなきゃね。
次がある保証なんてどこにもない、今を生きよう。

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